地位と重圧
こんばんは、矢口新です。
持病の喘息が悪化したことをきっかけに、身体の随所にガタが来て、
週3回ほどのペースで続けていたジム通いが3週間余りもできていない。
そのため、
この1週間ほど夕方の時間に大相撲を見ている。
今場所は、先場所優勝した大関大の里の綱取りがかかっている。
大相撲に馴染みがない人のために念のために述べておくと、
綱取りとは自身が横綱になることに挑戦することだ。
大相撲の最高位である横綱になるには、現大関が2場所連続優勝、
もしくはそれに準じる成績を修めることが最低条件となっている。
そこに品位や時の状況など、諸々の条件が加わるが、
2場所連続優勝の重みは最優先事項として考慮される。
入門以来の成績では、
現役力士の中で大の里の勝率はずば抜けていて、
歴代の名横綱に匹敵する。
その確率では、
大の里がいずれ横綱になるのは怪我でもしない限り、
確実だと言ってもいいくらいなのだ。
仮に今場所で決め切れなくても、
逆にそれを糧に、常に13勝以上(大相撲は15日取り組む)は
期待される大横綱になれる見込みだ。
その意味で今場所の興味は、
むしろ誰が大の里を止めるかなのではないか?
その役目に有望な力士は何人かいるが、
やはり、豊昇龍が最右翼だと見なすべきだろう。
何しろ現職の最高位、横綱なのだから。
ところが勝率で見ると、
豊昇龍は中の上といった力士でしかない。
そのため、
今場所の対戦相手とも過去の勝率で圧倒しているケースがほとんどない。
これは、勝つことを宿命付けされ、勝てなければ、降格がない代わりに、引退に追い込まれる横綱としては重圧がかかるところだ。勝率が低くても横綱になれたのは、3場所前と2場所前に連続優勝したからだ。ところが、先場所は負けが先行して途中休場してしまった。
今場所も強い時は強いが、脆いと感じるような負け方もしている。一人横綱で常にその日の取り組みの最後を締めくくる結びの一番を勤めねばならないので、その重圧は気の毒に思えるくらいだ。まだ25歳と若いので、2場所連続で負け越せば降格する大関で、もっと苦労してから横綱になった方が良かったのではないかとの見方が出てきてもおかしくはない。
こうした重圧は、豊昇龍に限らず、若くして要職に抜擢された人たちにもあるのではないだろうか? 大の里のように24歳と若くても過去の実績が十分で、その実績が自分を支えてくれるような場合は心配がないが、豊昇龍のようにその実績がかえって自分の不安を高めてしまう場合もあるだろう。そうすると、勝ちにこだわる余り、かえって実力が出せなくなってしまう。相場でも同じで、勝ちにこだわると、自分を見失う。
相場という勝負に関わる者として、私が豊昇龍や若くして要職に抜擢された人たち、あるいは迷いの出た投資家に助言できるとすれば、「自分を貫くしかない」ということだ。
豊昇龍に関すれば、強くなければ横綱にはなれないことを自分の支えとするのだ。入門以来の勝率のほとんどはかなり前のものだ。2場所連続優勝した時には「無双」だったのだから、その自分を信じることなのだ。豊昇龍は並の力士がとんでもなく強くなったという上昇曲線上にいるのだ。横綱になったことがゴールではない。
勝つことを宿命付けられていると思うから重圧がかかるのだ。降格がないことをそのまま受け止めれば、負けてもいいということだ。正確には、勝ち負けには拘らずに、横綱らしい相撲を取ることを求められているのだ。自分の相撲を取ることに徹するのだ。そうすれば、勝っても負けても美しい相撲となるだけでなく、勝ちは自然に付いてくるのではないか。
大相撲に限らず、常に勝つか負けるかに晒されるスポーツは、同じように損益が目に見える投資家の姿勢に関して、多くのことを教えてくれる。是非とも親しんで頂きたい。

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