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安倍晋三元首相暗殺に思うこと

安倍晋三氏が凶弾に倒れた。まずは冥福を祈りたい。

こうした要人の死と、一般人の死の、命の重みは同じはずだが、世の中に与える影響は大きく違う。

暴力が許しがたいのは、要人に対しても、一般人に対しても同じはずだが、世間の受け止め方は全く違う。

そうしたことを踏まえて、個人の死と、象徴とされる死について考えたい。

故安倍晋三氏は私と同い年だ。トルコのエルドアン大統領、ドイツのメルケル前首相も同い年だ。中国の習近平主席や英国のブレア元首相は1つ上、ロシアのプーチン大統領は2つ上だ。

人は自分と近いものに反応しがちだ。妊婦は妊婦に関するニュースに、小さな子供を持つ人は小さな子供のニュースに、受験生は受験生に関するニュースに、会社員は会社員のニュースに、無職ならば無職と報道されるニュースにといった具合だ。

故人は私と同い年だということで、その死は私の死生観に訴えかけてくる。また、上記のように年が近い政治家たちには、私人としてだけでなく、公人としても近いために、より訴えるものが大きいのではないかと思う。

その意味で、安倍晋三元首相暗殺が世の中に与える影響は小さくないかも知れない。

ちなみに、人生をサッカーゲームに例えるならば、私はこのところ、人生の延長戦を戦っているように思っている。勝ち負けがすべてという意味ではなく、気持ちよく終われるかどうかという意味だ。

生まれてから29歳までが前半戦、59歳までが後半戦、60歳を過ぎれば延長戦だという感覚だ。60代は延長戦の前半、70代は延長戦の後半、80代からは、サドンデスだ。

つまり、60歳になるまでは、想定外の事態で没収試合の可能性があるとしても、通常ゲームが続くという認識を持って生きていかねばならない。勝ちに拘るのは気持ちよく終われるかという意味で重要なのだが、体力や気力の配分を考えることが必要だ。途中で勝った気になっていても、どんでん返しがある。

60代になってもまだ勝負がついていなければ、つまり、天に召されていなければ、これまでにも増して勝ちに拘る必要がある。残された時間があまりないので、体力や気力の配分が2の次になるのだ。気持ちよくゲームを終えたければ、多少の無理は必要だ。

80歳を超えれば、勝負がついた瞬間にゲームが終わる。敗者で人生を終えたくなければ、全力でぶつかるしかない。

そうした死生観のもと、また、世間的にも理想的な死に方は「ピンピンコロリ」だと言われているところから見て、私は安倍晋三氏の人生は、政治家として理想のものではなかったかと思っている。暗殺されたことで、間違いなく、日本史上に残る稀有な政治家となったのだ。

これは、人の死を冷淡に見ているのではない。むしろ、最大限の追悼の言葉ではないかと思う。かつての大物と呼ばれた政治家たちの中には、引退の時期を間違えて、政治家として長生きし過ぎてしまった人たちも少なからずいる。

私が自分の身に照らし合わせても、一番恐れているのが「長生きし過ぎた」という後悔だ。長生きすれば、身内や親しい人の不幸に遭遇する確率が高まるからだ。故人のように、仕事中に惜しまれて「逝ける」のは、1つの理想だとも言える。とはいえ、こればかりは天命とでも言うしかない。

一方、公人としての安倍晋三氏の暗殺死は、年が近いトルコのエルドアン大統領、中国の習近平主席やロシアのプーチン大統領などに、もっと大きなインパクトを与えるかも知れない。

ここ10年ほどの間に、世界の首脳や軍の最高司令官クラスの人々が何人も殺害された。ましてや、今回の暗殺者は普通に見える人が、普通に接近しての犯行だ。

世界には兵役経験を持つ人などいくらでもいる。手製の武器どころか、本物の武器も溢れている。政治家であれば、支持者に匹敵するほどの不支持の人たちがおり、中には恨んでいる人たちもいる。身近な人がそうである場合もある。

上に挙げた政治家たちは、それぞれの国の近年の政治家で、最も大きな影響力を与えている「大物政治家」たちだ。世界的な影響力もキーパーソンと言えるほど大きな人たちだ。その命を狙う人たちも多いと思われる。

彼らが、人生の延長戦だとして、徹底的に勝ちに拘わって戦い続けるのか、それとも、多少は腰が引けてしまうようになるのか? おそらくは前者で、これまでにも増して勝ちに拘る可能性が高いのではないか。

エルドアン大統領はともかく、プーチン大統領や習近平主席がそうなると、世界は、特に日本を取り巻く環境がますます不安定になることは避けられない。

日本の政情はどうだろう? 良いも悪いも、日本を引っ張ってきたリーダーの1人が凶弾に倒れたそのことだけで、行ってきた政策までもが美化されるようなことにはならないだろうか? あるいは、515事件や226事件の後に見られたように、政治家たちが暴力に脅えて、暴力にひれ伏すようにはならないだろうか? 海外情勢に加えて、ここにも1つの不安定要因が加わったように思える。

もっとも、そうした「大物政治家」たちが、必ずしもそれぞれの国民の生活や国の成長に貢献するとは限らない。安倍晋三元首相も同様で、その非業の死を受け、メディアのほとんどはその業績を讃えているが、私は長い目で見て、日本の一般国民の生活水準を最も押し下げ、日本の競争力を最も低下させた政治家の一人だと見なしている。

故人は、間近に迫っているとも言える、日本経済の崩壊現場も見ずに逝ったようにも思える。政治家としては、幸せな人生だったのかも知れない。合掌。

  • コメント ( 2 )

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  1. 滝童内浩子

    示唆に富む考えさせられる内容です。うなづきながら読ませていただきました。

  2. cat

    冒頭の文章(メッセージ)は、ぱっと見、私にはおかしなもの?と思えたのですが、メッセージを読むにつれて何を言わんとされているかが、私の考えにも近いことであるか?と思えて、なるほど!!と思いました。
    私自身は、だいぶ前(小泉さんが首相になられたころ)から、特に日本丸は、泥船の転覆してゆく国家である、と認識しておりまして、近しい人たちには機会があるにつけて、なぜそうなのかについて私的な意見(理由)等を話した(現在も状況により話し続けている)ものです。
    今時の安倍さんの事件に至っては、私は初めから当人を支持するものではありませんが、とても残念に思います。なぜなら、生きていて下さったなら、たとえば、個人的にはとても気にいらなくなったプーチン(ソ連)との今後の日本との国交回復をもたらす可能性をつなぐ働きを実行できるであろう人であったでしょうし、また、たとえば、北朝鮮拉致被害者の日本への返還を、どのような形であれ、実行できる人物であったのではないか、と思えるからです。残念ながら、(少なくとも)それらは、今後の日本政府によっては、恐らくかなわないものとなったのではないかと思います。
    一方、今時の同氏の英雄論的な報道やそれらへの一部国民の反応には、メディアによるバイアスもあるかとは思いますが、いかがなものか、と個人的には思っております(やはり、この国は、衰退への道を進むしかないのでしょうか)。

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