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不思議の国、日本

こんばんは、矢口です。

英国のシンクタンクZ/Yenグループの
9月の国際金融センター指数(The Global Financial Centres Index 32)は、
1位ニューヨーク、2位ロンドンで、3位に香港に変わってシンガポール。
4位は香港だった。

ベスト10にはパリ(10位)が東京に変わって入り、
東京は16位に後退した。

10位以内には北米からニューヨークの他に、
サンフランシスコ(5位)とロサンゼルス(8位)が入った。

アジアからはシンガポールと香港に加えて、上海(6位)、北京(7位)、
深セン(9位)が入った。
10位以下でも、ソウル(11位)、シドニー(13位)などが東京を抜いた。

ニューヨーク、ロンドンと並び、かつての世界の3大市場であった東京は、
アジアの中でもローカルな市場(8位)となった。

いま、「『失敗の本質』を語る なぜ戦史に学ぶのか」
(野中郁次郎:日経プレミアシリーズ)を読んでいる。
同書から一部分を引用する。

(引用P95~98:ガダルカナル作戦4つの敗因)

『失敗の本質』の概要と、その要諦を章別に解説してもらおう。

『失敗の本質』は、日本とソ連との間に起きたノモンハン事件(1939年)、第2次大戦のミッドウェー、ガダルカナル、インパール、レイテ、沖縄の計6つの作戦の経緯を克明に追っています。6つの作戦は日本軍が惨敗を喫した典型的な失敗事例であり、失敗の事例研究というタイトルをつけました。各作戦に1章ずつさいて記述し、末尾にはそれぞれアナリシス(分析)という節を儲け、敗因を探っています。

例えば、私が担当したガダルカナル作戦のアナリシスは、4項目からなっています。

1つ目は、戦略的グランドデザインの欠如です。米軍には、ガダルカナル島の攻撃が日本本土直撃への足掛かりになるという基本的なデザインがありました。一方、日本の帝国陸軍は主力を中国に置き、重慶攻略作戦によって、米軍を中心とする連合軍に対抗し、不敗体制を確立しようとしていました。したがって主要な攻略地域は重慶・インド洋方面であり、海軍のソロモン海域への作戦を軽視していました。太平洋は海軍の担当であり、関心を持っていなかったのです。

日本海軍は、米艦隊の主力をソロモン海付近で撃滅し、戦争を終結させようとしました。航空基地があるガダルカナル島奪還は主力決戦を成功させる条件とみていたのです。しかし、米軍が陸・海・空軍を統合した水陸両用作戦を開発していたとは知らず、太平洋諸島の攻防については深く研究はしていなかったのです。

日本軍全体として、どのように作戦を展開するかというグランドデザインがないままに、陸軍と海軍がバラバラに、かつ現実味がない戦争終末観をもって行動していました。それが、ガダルカナル作戦では、序章でも触れたような、一木支隊の投入から始まる戦力の逐次投入という不毛な戦い方を招いたのです。

2つ目は、攻勢終末点からの逸脱です。日本陸軍は敵軍に勝利したら、そこから物資を奪取すればよいと考えていました。海軍は米海軍の撃滅が目標であり、補給物資を輸送する船舶を護衛する任務を重視していませんでした。ガダルカナル島は東京から6000キロの海洋を隔てた遠方にあり、そもそも攻勢の限界を超えた地でした。

3つ目は、統合作戦の欠如です。米軍は、緊密な情報システムのもとに組織間でよく連絡が取れていたのに対し、日本側は陸軍と海軍がバラバラの状態で戦い、戦力を短時間、少しずつ投入していました。物資の補給も不十分だったのです。

第4は、第一線の部隊に自主性が認められず、作戦司令部への情報のフィードバックが欠如していた点です。日本の作戦司令部には兵站や情報力、科学的な思考を軽視する風潮がありました。戦略を策定するときは、硬直した官僚的な思考のままに机上でプランを練ったために、抽象的な内容になりがちでした。

それでも、戦闘の現場では日本軍が作戦をかなりの程度まで遂行できたのは、戦闘部隊の訓練が行き届き、戦闘技術を磨いていたからです。陸海軍の部隊は、血のにじむような訓練を通じて戦闘技術を向上させ、粗雑な戦略であっても、練達の戦闘技術によってカバーし、戦果を挙げてきました。

戦闘部隊の現場での経験を司令部にフィードバックするシステムはなく、個々の経験が戦略や戦術の策定には反映させませんでした。大本営のエリートは現場に出る努力をしなかったのです。

4つの要因が重なり、組織内での合理的な判断ができませんでした。作戦の選択肢もなく、ひたすら全軍突撃を敢行する戦術を墨守したと総括しています。ガダルカナル島作戦の敗因分析だけをみても、日本軍が組織として抱え込んでいた問題点がくっきりと浮かび上がります。とりわけ、4つ目の要因のなかにある、日本軍は戦闘部隊の訓練が行き届き、戦略の不備をかなりカバーしていたという記述は、日本軍の弱みだけでなく、強みにも目を向け、組織の特質をとらえています。

(引用ここまで)

同書は、日本の敗戦という、日本軍の「失敗の本質」を分析することで、日本の組織が抱える「弱みだけでなく、強みにも目を向ける」ものだ。

当時の日本政府は、反対意見を「非国民」だとして封じ込めたが、当の政府は一国を運営する能力に欠けていたのだ。それでも日本が国家としての体裁を保てたのは、一般国民が優秀だったからだ。

東京がアジアの中でもローカルな市場(8位)となったという、経済的な敗戦の理由も、日本軍の「失敗の本質」からそれほど遠くないところにあるのではないか?

一例を挙げれば、こうした経済的な敗戦に至る期間、最も長く日本を指揮した最高司令官を、非業の死を遂げたという理由だけで、国葬に値すると最高評価を下したことだ。これは「兵站や情報力、科学的な思考を軽視した」旧日本軍の政府に通じるものだ。

私は「過ぎたこと」を愚痴っているのではない。こうした現政府のアベノミクスを検証しようとしない姿勢、それどころか、経済的には負け続け、インフレや円安にも無防備になってしまった大失敗を認めず、最高評価を与えるという体質が、次の敗戦、その次の敗戦に繋がり、本当に日本を滅ぼしかねないと危惧するからだ。

一方で、「不思議の国、日本」としたのは、今の日本も戦闘現場は、一般の人々は、ニューヨーク、ロンドンと並び、かつての世界の3大市場であった東京の時代と遜色はないからだ。今も日本の現場は、どの国の人々にも、どの市場にも負けない資質を持っていると信じられるからだ。

今の政府が、GDP(世界3位の規模)比で世界最大の債務を抱え、財政赤字を減らすグランドデザインもないままに日本を運営できているのは、民間が蓄えた資産があるからだ。しかし、それも今の政府のままでは時間の問題で枯渇する。実際に、随所で日本人の生活は追い詰められてきている。

<講師プロフィール>

矢口新(やぐち あらた)

1954年生まれ。
金融業界の第一線で30年以上にわたり活躍し続け、
プロディーラーにも師と仰がれる天才ディーラー。

東京・ニューヨーク、ロンドンと世界3大金融市場で活躍し、
さらには為替、債券、株のすべてに関わるという
非常に稀有なキャリアを持つ。

相場を動かすプロの裏の裏まで知り尽くしており、
投資を真剣に学びたいという意欲ある方々との交流にも熱心。

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