70歳の旅立ち
こんばんは、矢口新です。
ここ数カ月、1カ月に1回のペースで帰省し、
叔母が残した家の後片付けをしている。
過疎が進む地方都市の一軒家なので、売却するにしても、
解体するにしても、業者に任せてしまえば「足が出る」
ほどの資産価値でしかないからだ。
また、生涯独身だった叔母が大事にしてきた住まいなので、
甥の私が掃除や片づけするのが供養になると思い、
金曜夜の夜行バスに10時間近く揺られて、土曜日の早朝に着き、
夕刻まで片付けて、夕食を高校時代の同級生たちと取り、
土曜夜の夜行バスに乗り、日曜日の早朝に帰宅するというスケジュールを行っている。
これは8月の初盆でいったん終了する。
叔母は几帳面な人だったという認識だが、
きれいにまとめているとは言え、何もかもを残して行ったのは、
果たして本当に几帳面なのだろうかと思いながら片付けている。
洋服は特大のゴミ袋に60個以上あった。
セカンドストリートに持ち込んで、
うち30数個に値段がついたが、合計で560円だった。
呉服は30袖以上あり、同級生の呉服屋に引き取りを断られたので、
大きなスーツケースで東京に持ち帰り、
海外向けにネット販売している知人に引き取って貰っている。
これはスーツケース2回分(10数袖)で1万4000円ほどになった。
あと、2回分ある。
合わせても「足代」にもならないが、
そうした手間暇も供養だと信じている。
東京でバイセルや大黒屋に持ち込んだ古銭はほぼ価値なし。
記念硬貨(5000円硬貨も数枚あった)は、
金貨以外は額面の価値のみ。
少し前には価値があったものも、そうした物持ちたちが他界し、
あるいは断捨離するなかで、買い手市場どころか、
買い手がいなくなっているようだ。
朝食、昼食はコンビニで買っている。朝食は家の中で食べるが、昼食は浜に出て、一人海を見ながらおにぎりをほうばるのが至福の時間だ。周りに人影はなく、とんびとすずめと、見知らぬ野鳥、時々カラスがいるくらい。とんびは口笛を吹くと、必ずといっていいほど鳴き声を返してくれる。不思議なもので、旅行や贅沢では幸福感まで感じることはまずないが、至福の時はいつも身近な日常にある。
今回は5人集まる予定だったが、1人は何年か前の手術以来、暑さがこたえると言ってキャンセルになった。彼を含めて5人中3人が生涯独身、1人が別居中で、孫と交流がある私が羨ましいと言っていた。気儘な連中の集まりの中でも気儘だった私が「人並み」の人生で羨ましいと言うのだ。私はリスクを取っているからだと答えたが、うち一人は大学卒業後、20年近くも米国で様々な仕事をしていたので、私以上にリスクを取っていたと言える。羨ましいというのは、そんな気もするというだけで、皆、昔同様、気儘な連中だった。
とはいえ、過疎が進む地方都市では縮み思考になるという。刺激が欲しいと言うので、相場の話と、ユーチューブのおかげでこの年になって今一番水泳のバタフライが上手くなっているという話と、AIと歌をつくっているという話をした。昔書いたポエムを歌詞に、AIに曲をつけて貰うのだ。150曲ほど出来て、一段落ついたので、今度は日本語の歌詞をAIに英語の歌詞にして貰って、それで英語の曲を作ろうと思っている。
1人が「ポエムなんか恥ずかしくないか? 70前になって人の手前を感じるようになった」と言う。実は私も若いころのポエムなど気恥ずかしく、このまま封印して他界しようと思っていたが、AIが気の利いた曲をつけてくれたので思い直したのだ。
「俺も70前まではそうだったが、70を過ぎたら吹っ切れた」と答えた。大事に溜め込んでいたものも、他界すれば、人の手を煩わせて捨てられるだけだ。恥も名誉もいずれ忘れ去られる。「お前も70を過ぎればそうなる。新しい旅立ちだ」と答え、SUNOという音楽AIを勧めておいた。
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