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(矢口新)日常の中の戦争

From矢口新

世界から戦争や内戦、紛争が、
小さなものを含めれば絶えたことがないにも関わらず、
これまで、一般の現在日本人にとって戦争は非日常だった。

自然災害は日常だ。
病気、事故、事件も日常だ。

自らそれらを望む者はほとんどないと言えるが、
誰の身にもそれらは降りかかる可能性があるものだ。

同じように平和を望まない者はほとんどいないが、
それでも戦争は誰の身にも降りかかる可能性があることを、
歴史や現在の世界情勢が教えている。

これからの投資は、
日本人にとっても戦争は日常であることを踏まえたものになるのではないか?

私が生まれたのは1954年で、
終戦から9年しか経っていない。

戦争が残したものを私が実感できるわけもないが、
子供向けの漫画にも、「ゼロ戦隼人」や「紫電改のタカ」など多くの戦争モノがあり、
軍人将棋というものもあった。

 

 

 

 

 

 

 

小学生の頃にはアメリカのテレビ番組「コンバット」が放映されたので、
友達たちと「戦争ごっこ」をして遊んだものだ。

特徴的なシーンは、小隊長が「援護しろ」と部下に命じて、
自ら先頭に立って敵に向かって突撃していくもので、
毎回そのシーンがあったと記憶している。

その敵とはドイツ軍で、
ヘルメットや制服が米軍のものよりかっこ良く思えたものだ。

プラモデルでもタミヤの戦車をはじめ、
戦闘機、戦艦、潜水艦など何でもあり、
プラスティックの小さな兵隊の他に、手足や腰、首などが動くより
大きなGIジョーという兵隊の人形もあった。

その意味では、戦争は今の子供たちより身近なものだった。
とはいえ、戦争は話に聞く遠い昔のもので、非日常の最たるものだった。

ベトナム戦争は1955年11月から1975年4月末までとされているので、
私が子供の頃の日本人にとって非日常の戦争は、
ベトナム人やアメリカ人にとっては日常の1部だった。

アメリカ人にとっては、その後もイラク戦争やアフガニスタン戦争があり、
内戦や小さな紛争への関与も含めれば、戦争はほぼ常に日常の一部となっている。

戦場が海外なので、ほとんどの人たちにとっては意識しないほど
小さな一部であったとしても。

私が遅すぎるのかも知れないが、この年になってようやく痛感しているのは、
戦争は誰もがいつ遭遇するかも知れない「人災」だということだ。

やはり、誰もがいつ遭遇するかも知れない自然災害が「天災」ならば、
個人的には恨みも何もない、見知らぬ相手と殺し合うのは、
人がつくる災難で、「人災」と呼ぶしかない。

 

 

 

 

 

 

 

そして、自然災害や、
事故事件に巻き込まれる場所などに発生確率があるように、
戦災に巻き込まれることも、日常の中にある確率の問題ではないか?

多くの日本人が感じてきているように、
誰もが戦災に巻き込まれる確率が確実に高まっている。

高まってはいるが、どこまでも日常の一部でしかない。
仮に日本が戦場になってさえ、日常のなかの戦争が大きく膨れ上がるだけなのだ。

つまり、どこまで行っても、
今日の生活、明日の生活が、生きている限り続くということだ。

<講師プロフィール>

矢口新(やぐち あらた)

1954年生まれ。
金融業界の第一線で30年以上にわたり活躍し続け、
プロディーラーにも師と仰がれる天才ディーラー。

東京・ニューヨーク、ロンドンと世界3大金融市場で活躍し、
さらには為替、債券、株のすべてに関わるという
非常に稀有なキャリアを持つ。

相場を動かすプロの裏の裏まで知り尽くしており、
投資を真剣に学びたいという意欲ある方々との交流にも熱心。

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