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「日本被団協」のノーベル平和賞受賞と、米映画「内戦」

こんばんは、矢口新です。

70年近く活動し続けてきた広島、長崎の原爆被爆者たちの団体、
「日本被団協」が2024年のノーベル平和賞を受賞した。

長年の活動が遂に報われたという喜びの反面、
被爆者の平均年齢が85歳を超えてきているので、
「今になって」の思いもあるようだ。

厚生労働省によると、
被爆者援護法に基づき国から交付される被爆者健康手帳の所持者は、
2024年3月末現在で10万6825人(前年度比6824人減)だった。

最も多かった1980年度末の37万2264人から3分の1以下となり、
平均年齢は85.58歳となった。

とはいえ、「今更」ではなく、
「今だからこそ」の受賞ではないだろうか? 

ようやく世界が、あるいはスウェーデンのノーベル賞選考者たちが、
核兵器の危機を身近に感じたということではないか。

ロシアや北朝鮮だけでなく、米国を含む核兵器保有国らが、
核兵器を増強し、実際の使用を考え始めているのだ。

世界で核戦争の危機が高まっているのだ。

見方を変えれば、「日本被団協」などの活動が
核の脅威を訴え続けてきたことが、これまで核戦争を抑止してきたとも言える。

しかし、平均年齢が85歳を超えたことが象徴しているように、
核の脅威や悲惨さが風化しつつあるのだ。

ウクライナや中東といった欧州にとって身近な地域で行われている核兵器保有国らによる戦争は、銃器で殺されても、核兵器で殺されても、命がなくなる点では同じではないかとの感覚さえ与えている。ところが、核兵器の違いは与える被害の大きさだけではない。核兵器は長年に亘って非常に大きな苦痛を与え続けるのだ。

核兵器の使用は、仮に限定的なものであっても、人類全体の脅威となる。ところが、ウクライナや中東が示しているのは、人類の理性や良心の疑わしさなのだ。その点で、「日本被団協」のノーベル平和賞受賞は大きな警鐘の意味を持つと言っていいのではないか。

一方、現在公開中の米映画「シビル・ウォー アメリカ最後の日(Civil War=内戦)」では、近未来のカリフォルニア州とテキサス州の西部州連合軍が、連邦政府があるワシントンDCに向けて進軍する。映画では、ジャーナリストたちを主人公に、彼らの目から見た戦争が描かれている。

彼らの何人かは殉職するが、その背景には現在行われている各地での戦争で、取材中のジャーナリストたちの殉職が急増していることがある。例えば、ガザではこの1年間で過去最大の少なくとも128人のジャーナリストたちが死亡した。彼らのほとんどはパレスチナのメディアのジャーナリストたちで、イスラエルの爆撃によって死亡したとされる。プレスのジャケットを着用したままだった人たちもいるという。

参照:One year on, the Israel-Hamas war has taken an unprecedented toll on journalists
https://edition.cnn.com/2024/10/07/media/october-7-israel-hamas-war-journalists-media/index.html

「愛に国境はない」と言うが、反対の意味で「戦争にも国境はない」。日本でも明治維新時に経験した自国民同士が殺し合う内戦では、敵味方が明確でない状態が日常化する。そうして周りの人間が信じられないようになると意味では、他国との戦争とは違った恐ろしさがある。

私が映画「内戦」で印象に残った1シーンは、主人公の1人が「ここ数日、これまで経験したことがないような恐い目にあったが、同時に、生きている実感もあった」という場面だ。

人間は環境に慣れる、受け入れて順応する。その程度は人それぞれ。元々の個性だけなく、年齢や性別、経験、教育などにも左右されるだろう。しかし、戦争や内戦といった余りにも過酷な環境下では、順応する人も、順応できない人も、それぞれに何かが壊れていくのではないだろうか。

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