オオカミ少年とJアラート
北朝鮮がミサイル発射実験を行う度に、
Jアラートが繰り返されている。
テレビなどで「避難せよ」と放送され続け、
交通機関などへの規制が行われている。
しかし、現状の日本には公共の「防空壕」がなく、
ほとんどの国民はどこに避難していいのか分からないでいる。
政府が本気で国防を考えるならば、
他国から高額な武器を購入するだけで、
あるいは兵士が戦う訓練をするだけでいいのだろうか?
戦うにはもちろんのこと、
生きるためには食料やエネルギーが必要だ。
戦国時代に籠城し、兵糧攻め、水攻めにあったような所は、
城内にふんだんに武器を所有し、鍛え上げた武士たちも数多くいたが、
飢えて全滅した。
国際化の中での日本列島を1つの巨大な城と見なせば、
現状の日本のように食料やエネルギーのほとんどを他国に依存していては、
国民を守ろうにも守れないのではないか。
今のようにJアラートを繰り返す必要があるのなら、
少なくとも防空壕の整備は必須だろう。巨額の防衛予算は、
国民の命を守るために使われるべきだ。
仮に、北朝鮮のミサイルが単なる発射実験に過ぎないのなら、
政府がJアラートで国民の日常生活を繰り返し妨害する意味がない。
一方、今後北朝鮮のミサイルが日本のどこかに着弾し、
多くの被害者が出たとする。
そうなれば、Jアラートの意味が今とは比較にならないほどの重みを持つことになり、
人々が避難先を求めて逃げ惑い、右往左往する可能性が出てくる。
その時、防空壕が整備されていて、その数が十分でなければ、数少ない防空壕に避難者がパニック的に殺到することで、Jアラートが大きな被害に繋がる可能性がある。つまり、Jアラートがミサイルの効果を増幅する。
防空壕もないのに、Jアラートがパニックを煽る形で「地下へ避難せよ」と連呼すれば、地下鉄の入り口や、思わぬところに避難者が殺到して、大きな事故にもなり兼ねない。
太平洋戦争での日本敗北の原因の1つに、日本軍の官僚的な体質が指摘されている。そうした見方によれば、日本は目前の敵と戦っていただけではなく、硬直した組織が発する命令によって自滅の道を歩んでいたのだ。
現政府のJアラートには実際の効果が何もない。こうした官僚的な「やっています」、「事なかれ主義」的な警戒警報は、現実の戦争時はおろか、戦争になる前から、日本の自滅を暗示しているようでならない。
適当な避難場所が提供されていないのに、「避難せよ」の連呼は、一時的にせよ日本国民の日常生活の運営を阻害することで、北朝鮮の目的は既に部分的に達成されているのだ。
多くの米銀のトップや、著名投資家たちが米銀危機は去っていないと指摘しているにも関わらず、当局者たちが「破綻は個別の問題で、銀行システムに問題はない」と繰り返しているのは、不安心理が無用なパニック、取り付け騒ぎに繋がるのを恐れるからだ。
Jアラートはオオカミ少年だ。国民が政府の指示通りに動けば、無用なパニックを引き起こす恐れがある。防空壕すらないのに「避難せよ」は、日本には何の対策もないことを世界中に宣伝しているようなものだ。日本政府はリスクの本質を全く理解できていない。そう思っているのは、私だけなのだろうか?
矢口新
全くその通りだと思います。
しかも、北朝鮮の推定発射時刻を15分以上過ぎているというのに避難警告を出し続けている。
無用な不安を煽っているだけです。
こんな事態を避けるために「緊急事態条項」が必要だと国民を誘導しているように思えます。
矢口先生のコラムは常に的確で感動を覚えます。
先日のJアラート発動では「北海道付近にミサイル着弾の恐れ、非難を」となっていました。
私はまず「付近」がどの程度の範囲を示しているのか?という疑問を抱き、次にどこへ避難すればよいのか?と疑問を抱きました。
矢口先生が仰る通り、日本は資源が少なく生活のあらゆるものを輸入に頼っています。
本格的な有事の際に我々はどのように行動すべきなのか……。
ロシア対ウクライナの戦争勃発で軍事だけではなく、経済戦などを含む第三次世界大戦が懸念される現状において、政府が相変わらずの「平和ボケ」を続けていて良いのか?と日ごろから疑問を感じています。