「相場」:予測しにくいものと、しやすいもの
From矢口新
相場の先行きを推測するのに、
予測しにくいものと、しやすいものとがある。
結論を先に述べると、
予測しにくいものとは「意欲」に関するもの。
一方、予測しやすいものとは「事情」に関するものだ。
例えば、何らかの事情で動いている参加者の動向は、
その事情を合理的に理解することで次の行動が予測しやすくなる。
そして、
最終責任者による意外な決断に振らされる可能性は否定できないまでも、
なしうる決断の予測範囲は狭めることが出来るのだ。
1990年以来、どの拙著でもある程度は触れているが、
私は相場の価格波動は「仮需(投機)と実需(投資)」の
綱引きによって生じると見なしている。
仮需と実需を別の表現で言い換えるならば、
「意欲と事情」だ。
つまり、量の制限が緩く、
時間の制限が厳しい仮需がチャートの縦軸方向に影響を与え、
一方、量には制限があるものの、時間の制限がない、
あるいは緩い実需がチャートの横軸方向に影響を与えているのだ。
私はそれを縦糸、横糸からなる編み物に見立てて、
タペストリー理論と名付けた。
例えば、仮需でも相当量買えば価格は上がる。そして、そのポジションを保有している限り上げ波動が続く。ところが仮需のポジション保有には時間制限がある。デイトレならばその日限りだ。また、多くのディーラーは週末にはポジションを減らし、月末、四半期末には評価損益を計上する。そこである程度ポジションを整理すれば、波動は山越えから、下げ波動に転じかねない。
そして、下げ始めるとポジション整理が本格化するだけでなく、ショートで下げを加速させる動きが出て、下げ波動が確定する。また、そうしたショートポジションにも時間制限がある。これは将来の買い戻しを意味している。市場ではそうした仮需が取引高の7、8割を占めている。
つまり、仮需(投機)は量の制限が緩く、時間の制限が厳しい。それによって、大小のボラティリティが生じることになる。
一方、貿易収支に見られる輸出入の売り買いは、実需の売り切り、買い切りでポジション保有の時間制限がない。これは市場価格に、制限のない圧力を加えていることを示唆している。とはいえ、量的には制限がある。
2022年の日本の輸出入総額の差額は年間約20兆円の赤字だった。これは貿易取引によりネットで年間20兆円の円売りが出たことを示している。こうした20兆円の円安圧力は膨大だが、貿易がらみで差し引き25兆円の円を売ることはできない。量に制限があるのだ。
また、年金や保険会社による投資は極めて長い時間保有する。これは市場価格の中長期波動に影響を与えることを示唆している。金額的・時間的に最も大きな例を挙げれば、GPIF(日本政府年金積立金管理運用独立行政法人)は約200兆円の資産を保有している。膨大だが、見方を換えれば、厳しい量的な制限があることを意味する。
GPIFはこれを4等分し、円建て債券、日本株、外貨建て債券、外国株で、それぞれ約50兆円ずつ運用している。そのため例えば、ある資産が他の資産よりも10%値上がりし27.5%になれば、リバランスで約5兆円の売り圧力が出ることが示唆されるのだ。
つまり、実需(投資)は量には制限があるものの、時間の制限がないか、緩い。そして、長く保有することでトレンドに大きな影響を与えるのだ。
これを現状のドル円や日本株の相場に当て嵌めてみよう。
1-5月の貿易収支は約7兆円の赤字だった。これは貿易がらみで差し引き7兆円規模の円売りが出たことを示している。これは反転(買い戻し)のない円安圧力だ。
加えて、国内運用では債券や融資から十分な利回りが得られない機関投資家が外債などを購入している。この時、日本が順イールドで投資先が逆イールドだと、長期金利差よりも短期金利差の方が大きいために為替ヘッジをすると損が出てしまう。このことは、外債投資をしないか、ヘッジをしないか、ヘッジを一部だけに留めるかの選択を迫られることになる。運用益は必要なので、結果的に、少なからずの外債投資が為替ヘッジなしで行われている。円売りが出ているのだ。
これらがドル円上昇の主因で、実需なので、長く保有することでトレンドに大きな影響を与えることになる。これが、貿易収支が赤字になった2011年からのドル高円安トレンドをつくっている。また、日本の政策金利は1997年3月以降0.5%以下で推移しているので、この間、金利面では常に円安圧力が続いている。
これらの先の予測は難しくない。日本はエネルギーや食料といった必需品を輸入に頼っていることに加え、産業の空洞化で輸出力が落ちてしまったので、貿易赤字の定着が続く見込みだからだ。もっとも、インバウンド消費も輸出なので、赤字のピークは2022年だった可能性がある。
また、諸外国が金融政策の正常化で利上げをしているのに対し、日本は異次元(異常)緩和を継続しているので、金利差は縮まらない。仮に、日本も金融の正常化を行っても、例えば日米の金利差逆転は近い将来には見込めない。つまり、実需(投資)からの円安圧力は今後も継続すると言っていい。
これらのことは、相当期間の円安トレンドは動かないことを示している。
こうした円安トレンドに転じたことは、私は日本が貿易赤字に転じた2011年から言い続けている。これは2022年も同じ状況だった。では、どうして同年に150円台から130円割れまで円高が進んだのか?
主要因は3つ。1つ目は9兆円を超える日銀の円買い介入、2つ目は主に生損保による過去最大の保有外債の売却、3つ目は投機筋のポジション整理だ。このうち、2つ目は金融の正常化による外債価格の下落を、円安外貨高で相殺できたことがその動意だと見るのが合理的だ。
この2つ目は外債の保有量や価格動向からみて、2023年に同規模で繰り返される可能性は極めて低い。繰り返される可能性が高いのは1つ目の日銀の介入と、3つ目のポジション整理だ。
円安トレンドは続くので、日銀介入はいつかどこかで来ると予測できる。しかし、そのいつかどこかや、その規模は分からない。最終責任者が決めることだからだ。もっとも、その規模が外貨準備高の範囲を超えることは、常識的には考えられない。
また、仮需(投機)がどこまで円を売るか、あるいはどこで円買いに転じるかは、推測はできても他人の「意欲」に関することなので、正確には分からない。もっとも、保有時間に制限があるという「事情」を鑑みれば、推測の精度が高まるようになる。例えば、日銀の介入をきっかけにして、ドルロングから円ロングに転じることは予測の範囲内だ。
日本株は上げているが、日本勢は売っている。年初来の日本株の最大の売り手はGPIFで、次いで日本の個人投資家だ。自社株買いが活発な事業法人を除き、日本勢は総出で日本株を売っている。メディアで喧伝されているほどには、預貯金から投資への家計資金の移動は見られていない。
2023年3月末の家計資産のうち11%を占める株式は226兆円で前年比2.7%増だった。一方、東証株価指数は同期間に2.9%上昇しているので、値上がりほどには株価資産は増えていないことになる。単純計算では4520億円売り越したことになる。一方で投資部門別売買動向では個人投資家は2022年に6872億円を買い越した。この差額を鑑みれば、個人投資家は買い越したものの値上がりが悪く、パフォーマンスでは指数に負けたことが示唆される。日経平均に対してはもっと負けたことになる。いずれにしても、2022年に個人投資家は1兆円も買っていないのだ。
預貯金から投資への家計資金の移動を促すNISAの導入は2014年1月だ。しかし、この年の個人投資家は3兆6323億円売り越した。アベノミクスの初年2013年は8兆7508億円の売り越しだったので、歯止めがかかったとは言えるかも知れない。
とはいえ、2015年は4兆9995億円の売り越し、2016年は3兆1624億円の売り越し、2017年は5兆7934億円の売り越し、2018年は3695億円の売り越し、2019年は4兆3129億円の売り越し、2020年は8770億円の売り越しだった。2021年になってようやく2812億円を買い越した。2022年も上記のように買い越した。とはいえ、今年2023年の1ー5月は、過去2年間の合わせた買い越し額に倍増する2兆0133億円の売り越しだった。
2024年1月からは新型NISAが導入されるが、それでも家計の株式への資金移動は期待薄だ。なぜなら、日本の家計は2023年3月末に2014年以来の資金不足に至ったからだ。つまり、収入が支出に追いついていない。インフレで家計が苦しくなってきたので、投資どころか、預貯金の伸びも鈍化しているのだ。
では、日本株市場でGPIFはどう動く?
GPIFは約200兆円の運用資産を、円建て債券、日本株、外貨建て債券、外国株に4等分している。円建て債券は長期間動いていない。外貨建て債券を代表する米国債は長短合わせると年初来概ね横ばいだが、円安効果が+11%ほどある。外国株のS&P500は+13%、ユーロストック600は+7%、アジア株は+4%だ。一方で、東証株価指数は+21%だった。
これらを極めて大雑把に捉えてリバランスを考えると、円貨と外貨を半々に維持するには円物を買い、外貨物を売る。債券と株式を半々に維持するには債券を買い、株式を売ることが必要となる。4資産の4等分には円建て債券を大きく買い、日本株を売り、外貨建て債券を小さく買い、外国株を売る必要があることが分かる。
実際に、GPIFは日本株を売り続けている。他の3資産との兼ね合いなので、絶対的な水準を語ることはできないが、日経平均が2万5000円を超えた辺りからは売り基調となった。このことは、今後の値上がり局面でも売り続けてくることを意味している。
また、生損保や銀行は少なくとも10数年間、日本株が上げても下げても売り続けている。この主因は、1997年以降継続している「超低金利政策」のために、本業で儲けられなくなったことだと見ていていい。
これら予測しやすいもの、日本の市場参加者それぞれの「事情」を整理すると、日本株が今後も上昇し続けるには、外国人の買いが継続することが必要だと分かる。
一方で、海外投資家にも「事情」がある。最も大きな事情は金融の正常化だ。つまり、世界的なカネ余り政策は終了しており、漸減していく既存資金の割り振りに終始しているのだ。
例えば、ビットコインは取引高が急減する中で大きく値上がりし、仮想通貨で独り勝ちとなっている。これは既存資金の割り振りでも、市場が縮小したことで、小さな資金でも値上がりしやすくなったことを意味している。
もう1つの大きな「事情」は、中国とのデカップリングだ。米政府が中国との対立を先導し、中国政府が民間企業への締め付けを強める中で、西側諸国の中国投資は縮小していくことが濃厚となってきた。その退避資金の受け皿のトップに日本市場がある。
とはいえ、そうした投資は一気に株価を押し上げるようなものではない。トレンドに繋がるような、時間的な制限は緩いが、量的な制限は厳しい投資だからだ。
一方で、日本はアベノミクスの異次元緩和で2013年から2022年までに、資金供給量を4.6倍に増やした。とはいえ、同期間の株式売買金額は1.2倍でしかない。つまり、相対的には市場が縮小しているので、株価を動かしやすくなっている。
これらを総合的に判断すれば、今年の4月以降、日本株を大きく押し上げてきたのは海外ヘッジファンドなどの仮需だと見ていていい。量的な制限は緩いが、時間的な制限が厳しい連中だ。
何らかの事情で動いている参加者の動向は、その事情を合理的に理解することで次の行動が予測しやすくなる。そして、最終責任者による意外な決断に振らされる可能性は否定できないまでも、なしうる決断の予測範囲は狭めることが出来る。
それらの「事情」を鑑みると、日本株の下値は恐ろしく堅い。下げればGPIFが買いに来る。もっと下げれば、日銀が年間で最大12兆円も買うことができる。
しかし、上値はヘッジファンドしか買っていない。彼らはいつかどこかで売ってくる。それは確実だが、いつどこかは彼らの「意欲」などで分かりづらい。分かりづらいが、価格波動の山越えが確認されると、一斉に売ってくる可能性があると言えるのだ。
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