投機とマーケットメイキング ー その1
FROM 矢口 新
2024年から1万円紙幣の顔になると言うので、渋沢栄一が注目されている。
今年のNHKの大河ドラマの主人公も渋沢栄一で、私も日曜日の夜に楽しんでいる。
また、渋沢栄一が70歳を過ぎてから書いたという「論語と算盤」も同氏の考え方だけでなく
明治時代の人々の考え方が描かれていて興味深い
。とかく是非が取り沙汰される司馬遼太郎の歴史観が正しいのか、
歪められているのか、渋沢栄一の著書からも当時を垣間見ることができるのだ。
「論語と算盤」に書かれていることは多くの部分で賛同できるものだが、
渋沢栄一の玄孫がメディアで語った家訓、「投機は恥ずべきもの、慎むべきもの」というのは、
渋沢栄一ですら「投機の社会的な役割」を理解していなかったことを示している。
市場は、実需筋と投機筋とで支えられているからだ。一言で言えば、投機筋が市場を提供し、
実需や投資家がそれを利用する。どちから欠けても市場は成り立たず、
渋沢栄一が信じていた資本主義が揺らぐことになる。
実需筋の市場での役割は、トレンドを決定し、市場の存在自体に明確な意義を与えることだ。
そのほかにも輸出入企業や投資家などの実需筋は、実体経済での役割が大きいので、
彼らの存在意義を疑う人はいないだろう。
一方、市場というシステムをもう一つの車輪として支えているはずの投機筋の存在意義については、
いまだに多くの弁護の余地を残しているようだ。私の昔の仲間うちですら、
自分の仕事を虚業であるとか、博打打ちであるとか言い、卑下する連中がいた。
ここでひとつ「市場から投機筋を一掃すればどうなるのか?」を論じてみよう。
為替市場を例に挙げると、投機筋を一掃した市場での取引は、
財・サービスの輸出入にからむ実需、旅行者などによる外貨や邦貨の手当、
資産の裏付けのある投資とその収益の送金などに限られてしまう。出来高は今の数%となり、
売りたい人は買いたい人が現れるまで待ち続けなければならない。
経済規模の小さな国や経常収支が均衡している国ならば、
国家が一時的に取引相手を務めることであまり問題にならないかもしれない。
しかし、例えば貿易が大幅に黒字の国は、外貨を売りたい人が行列を作って、
買い手を待つことになる。しかも、この行列は日増しに長くなるので、
売り手はとにかく売ることが先決となり、レベルに関わらず売った者勝ちという恐ろしい事態が出現することになる。
国家が買い向かうにも限度があり、為替操作国という汚名を着せられることにもなる。
そうした実需の不均衡は、投機筋が埋めることでバランスが保たれているのだ。
(その2につづく)
矢口先生のお人柄が大好きで、その語られるお言葉の端々に、ついつい引き込まれてしまいます。
今後共、新さんの益々のご活躍とご健康を心から応援しています。
あらためて、矢口先生の凄さに、驚いている。
何故か。
それは、市場成立について、
ケインズはボラティリティ
渋沢栄一は、トレンドを
主張し、
矢口新は、双方の片手落ちを正し、二つの存在を明らかにしたからである。
そして、矢口先生は、さらには、
エリオットのフラクタルを加えてTPA理論を確立し、簡潔にサラッと、まとめている。
市場で勝つには、さまざまな方法、道がある。その道を行くとき、
矢口先生のTPA理論を実践し、本質的に理解することが、確実性の高い本筋、王道を進むこととなる。
わたくしが、投資の学校に参加したきっかけは、大会場で、笑顔を振りまいて、
世間話でも語るようにTPA理論を説明する
矢口先生に出会ったからだ。
現在のわたくしは、
そのTPA理論を基礎に
データ処理、波動観測、カレンダーをもとにトレードを行っている。
矢口先生のファンより