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ブレグジットの総復習

From 小次郎講師

自宅の書斎より……

おはようございます。
小次郎講師です。

イギリスのメイ首相が辞任しましたね。
結局のところ、イギリスのEU離脱に決着がつけられないまま、
首相の座を降りることになりました。

イギリス国民はこれから他の首相を選ぶことになりますが、
一体誰が選ばれるのか、そして、
EU離脱がどうなるのか、注意深く見守りましょう。

ところで、EU離脱を問う国民投票があったのが、
2016年6月23日でした。

かなり前のことなので、
記憶があやふやという方もいらっしゃるかもしれません。

そこで今日は、
イギリスがEU離脱=ブレグジットの
国民投票をするに至るまでの経緯を、
改めておさらいしましょう。

ERM離脱

実は、EU離脱の前にも、
イギリスは大変な苦境に立たされていました。

1979年に、ヨーロッパでは統一通貨のユーロ導入に備え、
欧州為替相場メカニズムを導入しました。
これにより、ユーロ圏内は固定相場制となったのです。

1990年にはイギリスもこの枠組みに加わったのですが、
同じ年に東西ドイツが統合され、
ドイツ通貨のマルクの価値が上がりました。

連動してポンドも上がったのですが、
1992年に投資家のジョージ・ソロスが、
ポンドを徹底的に売ってしまったのです。

もちろん、イギリスの中央銀行も、
手を尽くしましたが、
結果的にうまくいかず、240億ドルの損失をこうむりました。

一説では、この時のドイツ銀行の対応に不満を持っている
イギリス国民が非常に多かったとのことです。

その後、1992年には、
結局イギリスはERMから離脱してしまいました。

欧州憲法をめぐる攻防

それから時は流れ、
2004年には欧州連合内で憲法を作ろうという動きが出てきました。

当時のイギリス首相・トニー=ブレア氏は、
この憲法に国民投票をしないまま勝手に批准してしまったのです。

公約では、国民投票を経たうえで憲法に批准すると表明していたため、
国民からは猛反発を受けました。

このような背景もあり、
2010年にはEU離脱の国民投票を求める
署名が10万名を超える事態にもなったのです。

その後、2015年の総選挙で、
キャメロン首相は国民投票を実施することを公約に掲げ、
勝利しました。

この結果を受けて、
2016年6月23日に国民投票が行われたのです。

別の機会に、
国民投票から後のイギリスの動きについても、
お話しします。

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